海の外なのはどちらの方?-鎖国日本で生きる、ラオス帰りの私が色々考えるブログ-

Just tweeting something from Miyazaki pref. in Japan. 九州は宮崎から、諸々呟くブログです。

白黒、それとも灰色

「日本人らしいね~」と言われる事が心底嫌いだった。

 

20歳の頭でっかちな大学生だった頃、世界中の国から勉強しにやってきた留学生に囲まれて過ごしていく中で、私の所作や考え方、言葉の端から「曖昧さ」「何だか一般的でみんなと同じ考え」があることを感じ取った彼らに、たまに言われていたのが前述の言葉。

 

「やっぱり日本人って、単一民族だね。」

 

と言われたこともある。

何だかむしょうに悔しくて、「そんな事無い!知らないだけだ!県民性でもずいぶん違うのだから一側面だけで判断するな」と突っかかったこともある。それでも、他の国と比較すれば、やはり日本に多様性があるとは言い難いという結論になった。

移民受け入れだってやってないじゃないかと言われると、ぐっと言葉に詰まるしかなかった。

 

単一である=違いを排除する、固定観念に縛られている

 

という図式が常に頭の中にあった。そしてその様な事を言われる中で、「物事を曖昧にする事で丸く収め、和を以て貴しとなす」日本の「グレーゾーン文化」に違和感を覚えるようになり、現在に至る。

 

時は流れ2014年、私は東南アジアの一国で、グレーゾーンでの闘い方というものを目の当りにしていた。あれほど嫌っていたその文化を更に凝縮したような、そんな空気の中にいた。現地のやり方に沿わない言動をかまし、何度怒られたか分からない。恐らく私は現地の人たちに嫌われていた…というか、呆れられていたと思う。今思うと、恥ずかしい限りだ。日本人らしい”謙虚さ”を持ち合わせていなかった私は、どれだけ傲慢に見えたことだろう。

 

風土的文化的にはグレーを好んでいても、ビジネスのやり方では白か黒かをはっきりさせねば先に歩が進められない日本の矛盾を強く感じ、遅れを取りまくっている様にしか見えない現実を見て、私はやっぱり悔しい気持ちでいっぱいになっていた。どこに行っても、「ボランティアの人でしょ?」「J〇CAの人でしょ?」と聞かれるたびに、「ビジネスで来ているのだ」というと、「何で?」と返される。自分が生まれた国の、経済的な影響力を感じる瞬間だった。

 

私の周囲の「結果にコミットしている」方々は、意思決定のスピードが尋常じゃない。ぱっと判断し、カードを切る。違ったらカードを切り直す。そして、グレーゾーンでの闘い方も、よく心得ているイメージだ。彼らは、いわゆる揶揄的に言われるところの「日本人らしい」タイプではない。今の私を見て、あの日私を「単一民族だね」と言った友人は何というだろうか。

 

単一民族である限り、変化を拒む限り、時には自殺に追い込まれる程に頑張ることを止めない限り、日本に未来は無いと最近本当に感じることが多くて怖い。では何が出来るかと言えば、個々の考える理想の未来を具体的に描き、それが実現するのが当たり前だ位の気楽さをあるいはもちながら、日々を大事に生きることだと思っている。

 

私の描く理想の未来は、あらゆるタイプの色んな人間が共に生きる、エネルギーに溢れた街に住んでいる未来。カッコイイ大人がたくさんいて、ネットや陰で人の悪口を言ったり、足を引っ張ったり、失敗を嘲笑う暇があるくらいなら自分の好きな事に全力を注ぐわ、という、『あなたはあなた、私は私』を体現した人たちでいっぱいの世界だ。

 

「日本人らしいね」のあの一言が、未来の、今の自分にずしんと響いている。あの頃の頭でっかちな私から、少しは進化しているのか。

 

正解を求めるあまり、あらゆることに全力で振り回されがちな自分に喝を入れるべく書いてみた。

 

私はどこに行きたいのか、何が見たいのか。

 

何でなら、お役に立てるだろうか。