海の外なのはどちらの方?-鎖国日本で生きる、ラオス帰りの私が色々考えるブログ-

Just tweeting something from Miyazaki pref. in Japan. 九州は宮崎から、諸々呟くブログです。

東京いまむかし

今年は別れの年なのかも知れない。さようならが多すぎて、気持ちの整理が難しい。

 

2年と少し、東京で仕事をしていたことがあります。いわゆる営業女子でした。千代田区を自転車で走り回っていました。皇居にそって坂道を爆走し、お客様のもとへ飛んでいっていました。私の認識の甘さから大失敗してお客様を激怒させ、先輩を怒らせ呆れさせ、涙目になった社会人になって初めての誕生日。誕生日は2年連続、何かしらのトラブルを起こし、泣きながら家路についた記憶があります。

 

あの頃の自分(当時23~24歳)は、本当に口ばっかりの頭でっかちな甘ったれでした。口を尖らせてブツブツ文句ばっかり言ってる様な人間でした。人との約束も自分との約束も、全然守れなかった。「不安」からの発言ばかりで、私は私になりきれていなかった。他の輝く誰かに憧れて、こんなはずじゃないと、違う人生を生きたいと思っていんだと思います。今だったら、後ろから蹴りを入れた後に頭撫でてやりたい感じ。

 


自分の人生、と言葉にするのは簡単なんだけど、SNSでのコミュニケーションが活発で情報過多な昨今、キラキラギラギラした何だかすごくジュウジツしている友人知人の投稿ばかり見ていると、焦るとか、自分はなんも出来てないとか、まだ全然頑張れてないとか、やっぱり自分はダメなやつだなとか、いろんな評価を自分に下してしまいがちになる。等身大の自分を見ないフリして、もっと自分をいじめる。

 

 

東京→ラオス→宮崎ときて、いろんな人や価値観と出逢って、ぶつかって、自分と本気で向き合うタイミングに来ることが出来ました。で、その状態で東京に行ってみたら、ほっこりする自分も居て、そんな新しい自分にまたびっくり。前だったら東京ありえぬ!住むところじゃない!というアラばかり見えたと思うんだけど、良いところもたくさん見えて何か凄く楽しかった。こんな自分が居たんだね、初めまして、というような。

 


等身大の自分をしっかり見つめてぎゅーっと抱き締めつつ、

 

よし、「今」の私よ、次はどこに行きたいのかね?何になりたいのかね?何を目指したいのかね?一緒にそれに向かって走ろうじゃないか!

 

と、手を取って一緒に走るないし歩く、というイメージが今の自分にはあります。だから、無闇にカッコつけようとか本当にどうでも良くなってきました。いい傾向。

 

 

美味しいとこだけ持ってこうとしたり、嘘ついたり、当事者が居ないところで悪口言ったり、すべては等身大の自分と向き合えていない結果、自信の無さから来ているのかもしれないですね。

 

そんな自分に気付けたら、一旦立ち止まって、自分をまず抱き締めてあげるのが良いかも知れない。本来の自分から目を背けて走ろうったって、二人三脚はまず呼吸を合わせなきゃ始まらないんだから。


日本人は真面目な頑張り屋さんが多くて、パーソナルスペースも広いしスキンシップ文化が幼児期で終了しがちだからこそ、安心感を得にくいのかも…と思っています。そんな時こそ、余裕の無い自分に気付いて、頭を撫でてやって、抱き締めてあげたらいいと思う。大事な人がそんな状況に陥りもがいていたら、まずは手をとってあげたらいい。今、目の前にいる「私」は、間違いなくきみを見ているよ。

 

年を重ねるごとに、いろんな経験値を積んでいくごとに、もっと視点の数を増やしていけたらいい。懐、深くなってったらいい。草食動物レベルに広い視野を持っていたいなと思った秋の午後でした。